karaoko’s blog

思いのままに書いています。

なんだかなぁ

この時間帯から書こうと考えていませんでしたが色々思うところがあり現在に至ります。

 

同じ内容なのに自分のものよりも相手のものの方が評価されることってありませんか。思うに“誰か”というところが大きいんですよね。それによって極端なものだと正誤問わずといったのがあり「これって違うよなぁ」という気持ちになります。

 

内容の部分を経験から解き、それが立場になって真実味があるのは分からなくはないんです。でもモノによって中身を見てない場合って多くないですか。

だから当たる時もあれば当たらない時もあるというギャンブル的な発想に近いんですよね。そういうのって違っていた時に訂正を入れることは可能なんじゃないかと思うんです。

 

疎かにすると結局“言ったもん勝ち”になるじゃないですか。

 

殆どそれが事なかれになるのって最初に書いた“誰か”によるもので、気に入ってるから擁護して無かったことになりやすいんですよ。

逆に“気に入らない”という感情から入ると内容関係なく叩かれやすいんですよね。しかも論理的もあったもんじゃないんですよ。

 

同じニュアンスのものでも気にいる人と気に入らない人の扱いが天と地ほどの違いがあります。

 

同じものを体験していて表現が上手くないから良いものをという感覚は分かります。けれど勉強を踏まえた上での経験からしているものと、全くそれらしいものが見えてこない人の“掴みやすいから”という理由での判別は正しいようで正しくないんじゃないですかね。

 

これも内容を見ていないんじゃないかって。

 

 

何事に置いても絶対はないし全てがわかるわけではないです。それって分野は関係ないですし体験を積み重ねた結果見えてくるものがある。だから発信内容に真実味が出てくると考えています。

 

これって皆同じでしょうと思うんですよ。

 

悟りでも言い方を変えるなら気づきでも積んでこなければ分からないし、したからこそ分かるものでもあるのに端から否定するという考えは発展していかないんじゃないですかね。

 

 

なんか愚痴みたいな内容になってしまい次からはポジティブなものを読んで頂けたらなと思います。

まあ、ブログもですし他人に自分がしてきたものを理解してもらうって難しいですね。