karaoko’s blog

思いのままに書いています。

予感

うーん何かそんな予感がするといったことはありませんか。

 

第六感っていわれる部分が強いというか些細なことに気付きやすいんですよね。

客観的に捉えることが子供の頃から得意というより一歩引いた目で見るような冷めた部分を持っていたので変に磨かれたというのもあるんですよ。

逆に悪いふうに捉えがちになると“被害妄想”なんていわれたりするんですけど予防線は張って置いた方がいいかなと思ったので題材に挙げさせてもらいました。

 

まあ数字でも導き出せるので感覚のところだけではないというところは御理解頂きたいです。

あくまで可能性の部分でしか図れないんですが数字に見合わなければ“高い”ですよね。

何が言いたいかは、いずれ自分に跳ね返ってくることなんで気を付けた方が良いですよってことです。

 

さて、感覚について書いていくとルールはあってないようなものなんて解釈をされる方がいるんですが本当にそうでしょうか。以前書いた“皆がしているから”に近くないですかね。

明らかに逸脱していたり、しているものを使うことって守れてるといえるでしょうか。

法律に則って考えると罰せられたりするんですよね。

例えば動画でも権利があり違法アップロードをすれば罰せらるのは当然ですが見た側も罪が課せられるのはご存知でしょうか。

「勝手に流れてきたんだよ」なんて言い分が通じればいいですが、そんな経験がないのでされた方にでも聞いてみて下さい。

 

そう今日はクリスマスイブということなので良からぬプレゼントをもらわない方がいいですよね。

プレゼントといえばサンタそして親。これを目にした時は衝撃でした。信じる信じないというより光景が忘れられないんです。翌年あたりからは堂々と渡すようになった時は良い開き直りが出来たのではないでしょうか。

 

これも感覚に近いんですが信じていた辺りは擦れていなかった印象があります。変に逆説を弄するような天邪鬼のような性格でもなかったですし無駄に攻撃的でもなかった気がします。

子供の頃より大人になってからの承認欲求の方が強くないでしょうか。

 

子供だと“モノ”ですが大人だと似ているようで似ていない“満たされたい”というところがあり厄介だったりするんですよね。勿論、自分にはないなんて言いません。むしろ有る方です。ただ余りに度が過ぎると厄介だなぁと思うので場所によって自己主張は程々にという感覚でいます。

 

そろそろ1000文字超えてきたので要点をまとめると皆が気分良く使いたい。これに尽きますね。

ふわふわ

今日は書くつもりないなあ、じゃあ明日はと問われると難しいので書き出してみました。

少し眠いのと時間があるので可能限りという気持ちでいきますね。

 

そう、何故眠いかって自業自得の部分があるんですよ。しなければいけないこと、しなくてもいいことで、どちらかといえば後者なんです。まあいわゆる趣味というかネットを見ないと落ち着かないという依存的な部分が出て来るんですよね。殆ど情報収集なんですけど動画も面白いです。

 

今見てるものだとスポーツ、後はアニメ、ドラマ、ドキュメンタリーのようなものを稀に見ます。

最近だと面白いというより勉強といった側面の方が強いですね。

どんな気持ちで何考えてるんだろうなといったところや基礎から物事を学ぶといった要素があります。

「意識高い系か」っていわれそうですが見たものを感じ表現したい。まさに今書いてるブログなんて一つの手段じゃないですか。気楽に見るのも真剣に見るのも意識の違いはありますが意外と双方共に気づくことってあるんですね。

 

いや「真剣に見た方が気づくだろ」という方が多いと思うんですが無意識で取り組んだ結果良いものが生まれたりもします。よくいわれるのが“肩の力が抜けてる”といった状態なんですね。逆に“入り込めていない”なんて思われがちですが集中力って長く続きにくいんですよ。

 

少し調べてみたら15分が最適、それが難しい時は45分してから15分休憩を取るみたいなんです。

まあ全て時間をコントロール出来るにはこしたことはないという程度に見て下さいね。

書きながら気づいたんですが45分してから15分休憩を取るのはサッカー。

15分はルールによりなんですが格闘技に通じるものってありませんか。トータル15分の中で休憩入れたりするので必ずしもというわけではないんですが似てるなと思います。

まあ、実際作られたルールが今書いたものに沿って出来ていったかまでは定かではないというのが本音です。というのもあって調べてみた結果「こういう規則で作られたんです」というのがあれば一報をお願いします。この部分は他力本願的なところがあって申し訳ないです。

 

今でも殆ど書くテーマは決めていなかったんですが気づきや疑問といったところまで広げることが出来ました。多少強引なところもあるかもしれませんが意識の有無によってもたらされる効果って色々あるんだなと思うキッカケにして頂けたら幸いです。

 

うん、少し消化不良感。

また精進だなぁ。

なんだかなぁ

この時間帯から書こうと考えていませんでしたが色々思うところがあり現在に至ります。

 

同じ内容なのに自分のものよりも相手のものの方が評価されることってありませんか。思うに“誰か”というところが大きいんですよね。それによって極端なものだと正誤問わずといったのがあり「これって違うよなぁ」という気持ちになります。

 

内容の部分を経験から解き、それが立場になって真実味があるのは分からなくはないんです。でもモノによって中身を見てない場合って多くないですか。

だから当たる時もあれば当たらない時もあるというギャンブル的な発想に近いんですよね。そういうのって違っていた時に訂正を入れることは可能なんじゃないかと思うんです。

 

疎かにすると結局“言ったもん勝ち”になるじゃないですか。

 

殆どそれが事なかれになるのって最初に書いた“誰か”によるもので、気に入ってるから擁護して無かったことになりやすいんですよ。

逆に“気に入らない”という感情から入ると内容関係なく叩かれやすいんですよね。しかも論理的もあったもんじゃないんですよ。

 

同じニュアンスのものでも気にいる人と気に入らない人の扱いが天と地ほどの違いがあります。

 

同じものを体験していて表現が上手くないから良いものをという感覚は分かります。けれど勉強を踏まえた上での経験からしているものと、全くそれらしいものが見えてこない人の“掴みやすいから”という理由での判別は正しいようで正しくないんじゃないですかね。

 

これも内容を見ていないんじゃないかって。

 

 

何事に置いても絶対はないし全てがわかるわけではないです。それって分野は関係ないですし体験を積み重ねた結果見えてくるものがある。だから発信内容に真実味が出てくると考えています。

 

これって皆同じでしょうと思うんですよ。

 

悟りでも言い方を変えるなら気づきでも積んでこなければ分からないし、したからこそ分かるものでもあるのに端から否定するという考えは発展していかないんじゃないですかね。

 

 

なんか愚痴みたいな内容になってしまい次からはポジティブなものを読んで頂けたらなと思います。

まあ、ブログもですし他人に自分がしてきたものを理解してもらうって難しいですね。

そうだ、ブログを書いてみよう。

えー、満腹な状態で眠気を誘う中、書けるか試みています。

 

人は何かが満たされていると他の欲求が薄れるってご存じでしたか。

〜的欲求というものがあり一つでも満足な状態であると他のものを抑える効果があるんですよね。今まさに、その状況下にあるんですけど欲張りなので気になったものを書こうとしています。

支離滅裂にならないようには心がけていきますが、その辺りを含めてお付き合いの程よろしくお願いします。

 

皆さん見ていると、ネットその中でもSNS好きですよね。私個人は「もういいか」という気持ちの方が大きいので現在はしていません。ただ情報を得るということに終始しています。

 

この“情報”なんですが巷ではフェイクニュースなるものがあって実在しないことが現実にあったかのように報道されるという事象があるんですよね。

「個人発信でしょ」という方も出て来ると思いますが結構大きな媒体でもあるみたいなんですよ。原因としては少し書きづらいんですけど下調べをしていないということなんですよね。要はネットで誰が調べたか分からないものを公で扱うというものが起因しているようなんです。

 

ここまでで「そりゃそうだ」と殆どの方が仰ると思うんですが人は楽したがりますからね。同じようなものが出てきそうならする必要がなく、ニュアンスは変わってくるが“ほぼ間違いない”と考えれば「貴方ならどうしますか」ということなんです。

ここで皆さん黙ってしまう人が多いと思うんですけど“しがち”になりますよね。大元という言葉を使いますが要するに公式のものから派生していくなら問題はないと思うんです。ただ手間、時間を含めた“コスパ”として考えると割に合わないが本音ではないでしょうか。だからといって擁護する気はありません。

 

もう一つは全く同じものを出すのなら速い方が良いですよね。それによって被るものが出て来るのは分かりますか。勘の良い方ならお気付きですが“鮮度が命”なんですね。最初書いたように同じものなら速いほう。次にするのは少しずつ手を加えていく。これらをすることによってコスパはいいものになります。ただし、使っている素材は確かであることが最低条件なんです。

ここからも利用許諾なるものが出てきたりするのもあるので総合的な判断によるものが大きいのではないでしょうか。

 

心理状態としては「皆してること」ここの部分が一番に来ると考えています。

 

私個人も書くうえで気を付ける必要は重々承知なんですが“心的”な部分は千差万別によるところが相当大きいです。全く同じ性格の人間がいないのを想像して貰えたら分かるのではないでしょうか。このことから“傾向が強い”や“可能性が高い”といったところでしか図れないのです。マニュアルはありますが全てに対し当てはめるのは不可能といってもいいくらいです。それだけ内面というものは見えにくいのです。

 

色々上手く説明出来ない所があり納得して頂いたかは分かりませんが意見を残すのは可能なので思ったことがあるならお願いします。

 

なんか消化不良だなぁと思いながら日々勉強ということを突きつけられた気分になります。

ふう、精進しよ。

色々思ったものを吐き出します。

皆様、どのようにお過ごしでしょうか。

 

暇を持て余すとよくありませんね。何せ言ったら最後、見直し厳禁的なことを呟いたりしてるのを見ると平成最後の年末というのに人は変わらないなと思うわけです。

 

まあ「皆同じだよ」なんて仰る方も出てくると思いますが無責任じゃないかななんて。せめて言い直そうよと考えてますがどうでしょうか。

 

確かに思ったことって吐き出すと気分いいんですよ。しかも匿名な上に賛同者を募れるなんてと考えるんです。そういったことSNS特に気軽に出来るところなんて暇つぶしには持ってこいなんですよね。いやあ、怖い、怖い。

 

ただ思うに気にいるかそうでないかで叩く考えを持つと何も見えなくなるんですよね。それこそ感情によるところが大きいので当然なんですよ。この“感情”という部分は厄介で簡単に「見抜いた」なんてことは出来ないです。これは断言してもいいくらいです。

 

自分の経験上といっても単に勉強しましたというわけではないので結構見えたりはするんですけど、それでも中々難しい。

考えてもらうとわかるんですけど「貴方が考えてることは分かります」なんて出来たら人間関係も含めて苦労しないですよね。

 

スポーツから考えても心理状態が分かれば逆を突くこともできますし、相手が周りを見えない状況なんてものが見えればコントロールしやすいんじゃないですか。ということは、自分がポカしない限り殆ど勝てるわけですよ。そんな夢物語あったらいいななんて思ったりするんですけど結構最近では心の部分を取り上げるものが多いです。

 

例を出すと自身の心理状況をコントロールする。常に冷静沈着とまではいきませんが高揚感を抑えるなんていうのも日頃から訓練に近いことをしていけば出来ることが可能なんですよね。それがトップアスリートでなくても普段から「冷静だね」と言われることが多い人というのは生活環境によるものが大きいでんすよ。逆の意味で捉えたら「冷めてるね」というふうに思われがちになるんですよね。

 

もう一つは、アスリートならではの感情の高ぶり。いわゆるモチベーションというものになってきます。ここは単純に「勝ちたい」だけでも当てはまるんですけど“何に対して”ということが次に求められてくんですよ。だから“相手に”や“自分に”と相反するようですが実は目的は同じといったものが出て来るんです。ここでチョットした例えを出すと競うという点に置いて考えれば個人であっても相手より上回らなければ勝てないんですよ。だけど自分が今出来るベストをすれば“勝つ”という目的にも繋がるんです。

 

次に、実は論理的だけれども感情が度外視になるということを書こうとしたんですが、少し間を挟んでみようかと思っています。というのは理解してもらえないことには繋がっていかないですし、簡単に分かることを説明したつもりだけど「納得いかない」なんてのも出てくるかと思ったので後にしようと考えています。

まあ、こちらの事情というのもあるんで読んで頂いた方には個人的な解釈と受け取られがちになる部分を極力排除しながら書いていく所存です。

 

では、また。

試しに書いて見ました。

はじめまして。

最初は様子見ということでスポーツを中心に書いていこうと思います。

スポーツを中心に書くといっても自分の場合は心理学を専攻していたこともあり、色々なところで共通する事柄に置き換え書くことをしていこうという気持ちがあります。

専攻といってもロールプレイのところはしているので学習と意味合いは変わってくるのかもしれません。その辺りは少し頭の片隅にでも置いて頂けると幸いです。

 

さて、今はブログで多く見られるのはスポーツにおいてはサッカーではないでしょうかね。特に多いのは戦術ブログというのがあります。

少し増えてきたのがスポーツビジネスじゃないでしょうか。

SNSを駆使しながら肩書きなどを付け体験から言える範囲内で伝えているという印象があります。まあ、ここまでは問題ないんじゃないのかとは思っていますが個人的主観に変わってくると話は変わってきますね。これも先程説明した戦術ブログに近いものがあります。

 

今はネットが普及し、ある程度調べることができます。しかし、自分等が知るのは二次情報(誰かから発せられたもの)なので調べるというより“まとめ”に近いものが多いのではないでしょうか。

例えば、指導者の方に関しても裏側は正直見えないと思います。言ってみれば「見えた」という範囲内でしょうね。まあ、指導者の方々を含め趣味が興じてといった人達を否定するわけでもありませんが難しいといった印象です。

仮に教本に近いものを作るといった趣旨なら可能ではないでしょうか。

 

ここで個人の意見を述べさせて貰うとネットでの反応を見ていくと先ずは生業にしている人。ここは裏側なので見えない部分を使って書くことは可能。

次に指導者ですが先程書いたように裏側は見えないので教本に近いものになります。そして趣味が興じた方と続きます。

 

今、三通り書きましたが言えるのは絶対はないですが可能性の部分ですね。協力して良いものを作り上げることが近く寄せていくのではないかと考えています。

それに伴って注意点としては立場を強調し過ぎるということですね。

記者だからは分からなくはないですが指導者、趣味が興じたは何とも言えない部分があります。

 

自分は絶対なんていう考えは持っていないですが、段々ネットが普及していくと共に好みや新参に対するアレルギー反応を示す方が多いんですよね。

その割にはネットに転がっている情報で殆ど作られたようなものへ好感触を示したりするところもあってよく分からないが本音です。

 

全員とはいいませんが表面で好き嫌いを決めるんですよね。というのもあって「お前が語るな」という雰囲気が出るので抽象化すると「詩人か」みたいな。後者の表現は完全に生業にしている方に失礼なんですよね。正直「何様ですか」というふうに聞き返したくなります。こういった少数の方は気に入った人達でして下さい、気に入らないのを勝手に推測しストレスの捌け口にしなくていいですよといった具合ですね。

まあ、最後らへんは少し愚痴みたくなってしまったので申し訳ないです。よく現場という言葉を強調していますが、こちらも経験している所から言わせて貰ってますよという事ですね。ロールプレイはしたことはありますかという問いを投げかけたらしてないわけですから。ここも自尊心が高い方は「関係ない」なんて怒るでしょうけど。その怒りを指導の方に力を傾ければ良いものは生まれるのになんて思っていますが。

 

色々書いてたら長くなって脱線したところもありますが方向性は共通して使えるものを発信していきたいです。スポーツ心理学とは少し変わってくると思いますが上手く反映出来たらなと思います。

最初なのに長文になりましたが読んで頂いた方には感謝と後は感想、要望なんかがあれば最低限のマナーで接して頂くと有り難いです。